前回の記事の続きになります。

その願いを叶える「チャンス」がなんと、
入社して間もなく目にした1本の持ち込み企画にあった!
 「これは間違いなく世に出すべき本」という直感が働き、
すぐに編集長に報告しました。
ただ、事態はそう簡単には進まず……。


というのも、若かりし当時は
まだ「持ち込み企画」に対するハードルの高さを
理解していなかったのです。


そもそも、年に数百本送られてくる「持ち込み企画」のうち、
採用されるのは年に1本あるかないか、という狭き門です。


にもかかわらず、
私が手にした企画は著者の知名度は低く、
テーマも「統合失調症」という、やはり認知度の低い精神疾患だったわけです。
提案した企画は当然のようにボツになりました。


でも、この企画だけはすぐにあきらめることはできませんでした。

「あまり知られていないだけで、
 精神病に苦しんでいる人は思った以上にたくさんいる!
 売れる可能性だって十分にある!」

不思議とそんな確信もあって、
それが消えることもなかったのです。


精神病患者の数、
実際に苦しんでいる人がどれほどいるのか、
その企画がどれほど必要とされているのか、
家族会など関連する団体がどれほどあるのか、


とにかく徹底的に調べ上げて
「売れる可能性」を見出したうえで、
もう一度、会社でプレゼンしました。


ボツ、手直し、ボツ、手直し……。


どれほど自分がいいと思った企画でも、
どんなに意義のある企画だと思っても、
他の人から見ると全然興味がなかったり、
売れる要素がまったく見えなかったりする……
そんな現実をいやというほど味わいました。


でも、何度もくり返しているうちに、
ついに企画のOKが出たのです!


そうやって苦労して通した企画でしたが、
喜んだのもつかの間、
いざ著者の中村ユキさんに会って本作りをはじめると、
そこにはまだまだ問題がたくさんありました。
 

➁病気をコミックにすることの難しさ

当時、「うつ病」は社会に認知されつつあったものの、
うつ病に次いで多いはずの「統合失調症」は、まだまだ多くの人が知らず、
誤解も多い病気でした。

それゆえに制作中には多くの困難がありました。
細かいことをいうとキリがありませんが、
最大の問題は、すべての原稿が書き上がってから生じたことひと言につきました。


「この本は病気の当事者に読んでもらいたいの?
 それとも一般の人に読んでもらいたいの?」


ということです。


もともと一般向けに書かれていたはずなのに、
気づけば当事者の方々に向けたメッセージや
「お役立ち情報」がたくさん盛り込まれていたのです。


「そこまで詳しい内容には、一般の読者は興味がないはず。ならば削るべきか?」


さんざん悩みました。
そして、この企画を見て最初に感じた気持ちに
とにかく素直になることにしました。


一般の人に知ってもらうことで統合失調症の現状を変えたい、
という思いを再認識したのです。
そしてひとつの決断を、中村ユキさんに伝えました。


「当事者向け」に寄っている原稿を、
思い切って60ページもボツにさせてもらったのです。


原稿料1ページいくら、という世界の漫画家さんにとって、
時間をかけて書いた原稿を60ページも削られるのは
間違いなく苦しかったことと思います。


でも、中村ユキさんは本当にすばらしいことに、
こういった私の意図を理解して、
文句ひとつ言わずに了承してくれたのです。
中村ユキさんには本当に頭が上がりません。


今から思えば、この決断があったからこそ、
わかりやすく統合失調症を知る本として
『わが家の母はビョーキです』
が医師や当事者から高い評価を受け、
これだけ精神医療の分野で読まれることとなったのでしょう。


そしてそれ以上に、
中村ユキさんという4歳の女の子の「成長ストーリー」として、
一般の読者から高い支持を得ることとなり、
シリーズで15万部突破というベストセラーへと成長したのだと思います。


③タイトルの難しさ

作中ではとても穏やかで柔和な、
中村ユキさんの夫・タキさん。
そんなタキさんが激怒しているという連絡を受けたときは、
頭の中が真っ白になりました。


「このままでは出版できない!」


そう言われたのです。


その理由は「タイトル」です。
タイトルに断固反対されたのです。


もともと中村ユキさんからいただいたタイトルは、
『病めるときも』というものでしたが、
私が考えた結果、『わが家の母はビョーキです』というタイトルで
進めるに至ったという経緯がありました。


夫・タキさんはいいます。


「ユキはお母ちゃんのことを『母』とはいわないし、
なにより統合失調症のことを『ビョーキ』なんて表現しない。
統合失調症を軽く見ているようだ!」


と。


そのお気持ちは、痛いほどわかります。
私も障がい者の弟と生きてきて、
「身障!身障!」
と何度言われたことかわかりません。

弟と一緒に買い物に出かけていて、
指を刺されることも、当時は「日常」でした。


お気持ちは、わかるんです…。


でも、「統合失調症」という字面には重たい印象があり、
それをタイトルに入れてしまっては、
統合失調症の人にしか響かないタイトルになってしまいます。


そうなっては本書の
「一般の読者に届けたい」という目的とズレてしまいます。


すぐにタキさんのもとへ飛んで行き、
そのことを説明しながら、よりよい代替案があるのか一緒に考えました。
そうして二時間ほどたったころ、
ついにタキさんの口から


「やはり『わが家の母はビョーキです』というタイトルが一番いいですね。これでお願いします」


という言葉をいただいたのです。


「わかってもらえた!」


そのうれしさで胸がいっぱいになりました。
ものづくりにかける思いはどちらも同じです。
ただ、編集者が著者と違うのは、
著者以上に読者視点で考えているということでしょう。


読者のこと、本のことを思うなら、
自分の意見がブレてはいけません。


もちろん、相手の意見は大事な言葉です。
でも、
「自分のほうが、四六時中、この本のことを考えている」
そういう自信があって、
そのうえで伝えるべきことがあるならば、
絶対に著者の方は理解してくれます。


本当に、いい作品を作り上げる著者の方ほど、
話し合いによって作品がこじれるのではなく、
どんどん作品の質があがっていきます。


刊行直後のことです。
タキさんからメッセージをいただきました。


「タイトルを見て買ったという人からたくさん感想が届いています。
 綿谷さんを信じてよかった」


編集者として、最高の幸せを感じた瞬間でした。


④地道なあいさつ回りから、ベストセラーに


どんなに有名な著者の方の本でも、
PRを一切しない本は売れません。


無名の著者でも、
内容がよくて、かつ本気でPRをすれば、
ベストセラーになる可能性は十分にあります。


中村ユキさんはまさに、
それを証明する貴重な著者の一人でもあります。


編集者の仕事は、本づくりが100%ではありません。


極端な話をするならば、
本づくりは50%程度だと思います。
残り50%は、いかにできた本を読者に届けるのか、
そのために著者と奔走することです。


『わが家の母はビョーキです』も、
最初から本が売れたわけではありません。


最初の企画提案の際に何度も言われましたが、
「統合失調症」に関心があって
書店に足を運ぶ人はほとんどいない。


それが刊行直後から売れる、
なんてことは当然、予測できませんでした。
そもそも、統合失調症の当事者は、
家から出られない、という人も多くいますし、
人混みが苦手な人も多くいます。


書店さんに置かれるだけでは売れないと思っていました。


そこで中村ユキさんと二人で、
統合失調症の家族が集まる家族会や
専門の機関誌を発行しているNPO法人に「あいさつ回り」をし、
とにかく会える人には片っ端から会いに行って、本を広めてもらう活動をしました。


その熱意が伝わったのか、
話を聞いてくれた人は、もれなく協力してくれました。


しばらくすると、
当事者が多く閲覧している「掲示板」でも本書が話題になってきて、
新聞や雑誌で取り上げてもらう機会も増え、
テレビからの引き合いも増えました。


本が売れる、という実感以上にまず、
嵐のような勢いを伴って巻き起こる
大きな感情の「うねり」を、肌で感じはじめたのです。


特に新聞の取材では、記者が中村ユキさんの話に感動し、
記事の扱いを拡大してくれる、
ということが「定番」になっていたほどです。
(通常、そんなことはほとんどありえません!)


ありがたいことに、
編集者である私自身が取材され、
新聞や雑誌に掲載されることもありました。


そうして噂が口コミを呼び、
『わが家の母はビョーキです』は、
気づけばベストセラーとなっていったのです。


それもこれも、
最初に行った「あいさつ回り」がなければ実現しなかったこと。
そう思うと、こういった苦労が届くこともあるんだなぁと思います。


『わが家の母はビョーキです』という作品は、
本当に、私にとっても大切な本で、
多くの人に読んでほしい一冊となりました。


精神疾患に悩んでいる人は、
世の中に、本当にたくさんいます。


しかも、当事者や家族だけでその悩みを抱えてしまいがちです。
家族に連鎖して精神疾患になることもあります。


そういった家族が本書を通して、
「自分だけじゃないんだ」と共感して、
少しでも治療に役立てばなと思います。 


そして社会が、
もっと人にやさしくなればな、そう思います。 

わが母①